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2011年11月

生と死に立ち会って

11月18日母が永眠しました。

10月11日に肺炎を起こし入院。
中心静脈からの栄養点滴をしても、後1ヶ月位との事でした。

それからほぼ1ヶ月後の11月9日病院から呼び出しを受け駆けつけると、
ICUで処置を受けていました。
兄が福島へ出張しており戻るの午後1時。
医師から息子さんが戻るまでは保障しますと言われました。
兄も間に合い、私の娘達も病院に来て母の手をさすったり、ほほを撫でたり。

今日明日がヤマ場で、2~3日は・・・との事でしたweep
その夜は病院に泊まりましたが、翌日は状態が落ち着きました。

一度覚悟したのですが、
大正生まれは粗食、健脚、戦争を乗り越えた精神力なのか、
すっかり落ち着き皆で「来年まで大丈夫なんじゃない?」と話していましたconfident

11日に和歌山県新宮市から12時間掛かって駆けつけた姉も、
仕事を長期で休めないので16日に一度戻る事に。
戻った2日後の18日夜中の3時半に病院から連絡があり、
札幌から高速で向かいました。
それでも待っていてくれ、1時間半ほど何度か呼吸が止まりながらも、
頑張ってくれました。

呼吸が止まる度に肩をポンポンと叩くと「ふぅ~」と呼吸をします。
何度か繰り返しているうちに、
きっと、「もう起こさないでいいよ!」と言ってるんじゃないと話していました。
そのうち、さすっても呼吸が再発しなくなり、
眠るように呼吸が止まりました。

私は35年前に父を病気で亡くしています。
中学3年生でした。
お見舞いに行って自宅に帰る間に亡くなり、
父親の死に目に会えませんでした。

ずっとずっと後悔していました。後30分病院にいたらと・・・crying

今回、母の死に目にも会えなかったら、
また「何で毎日病院に泊まらなかったんだろう」と自分を責めたと思います。

私が着くのを待っていてくれてありがとうheart

派手な事が好きでなかった母なので、
葬儀は家族葬とも思っていたのですが、
喪主の長兄が公職に付いているので、
葬儀が終わってから訃報を知った人が自宅に大勢くるから、
そっちの方が大変と言われ、普通の葬儀にしました・・・。
役員だけで50人の大きな葬儀になってしまい、

母を本当に知っている人は参列者の一部の方だと思いますが、
告別式で孫達がお別れの弔辞を読み、
子ども4人・孫5人・ひ孫4.5人?(5人目が姪っ子のお腹に)
囲まれて幸せだったと思いますheart04

母らしく葬儀で子ども達に迷惑を掛けないようにと、
生前に法名「常照院釈恵真」を受け、永代経もお願いしてありました。
私はまったく信心がないのですが、母らしい名前だと思っています。

人の悪口を言わず、いつもにこにこと穏やかで、
ひとつの仕事を30年以上やり続け、
毎日日記を書き、親しい人の誕生日を忘れた事はありませんでした。
新聞が大好きで柩にも最後の日の新聞を納めました。

今頃は、先に天国に行った父や幼くして亡くした二人の息子やお姉さんと
久しぶりの再開をして、話しが尽きないのではと思っていますnotes

今年は孫の誕生に立会い、母の死に立ち会いました。

赤ちゃんは何も出来なくても、存在するだけで笑顔になれます。
親も年老いてただベットに寝ているだけでも、
存在しているだけで心の拠り所になります。

何かをしてくれるから存在する意味があるのではなく、
ただただいてくるだけでいいのだと思いましたheart01

数年前ですが、
「産んでくれてありがとう」と伝える事が出来て良かったです。

ずっと言えずにいた言葉ですが、

高齢の母に言っておかないと言えないままに別れる事になるかもしれないと思い、

その思いを手紙に書いて読みました。

母が返してくれて言葉は、

「こんな私をそんなふうに思っていれてありがとう」

その言葉を聞けて嬉しかったよ

母さん、ゆっくりやすんでねheart

mixiの2年前の日記です ↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1070504360&owner_id=7763720

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